戸栗美術館では、「西洋帰りのIMARI展」が開催中です。
伊万里焼(伊万里)は、1610年頃から肥前国(現在の佐賀、長崎)で焼かれた、日本で最初の磁器です。
伊万里焼が海外へ輸出され、もてはやされた契機は、当時、世界最高峰の技術を有し、海外への輸出もさかんに行っていた中国が17世紀中頃から後半にかけて漢民族の明から満州族の清の王朝交代による歴史的大転換期のさなか、海外へ磁器の輸出がストップしたことによります。
技術をじわじわと上げていた日本の磁器が、中国磁器に替わって1660年代頃から本格的にヨーロッパ向けに輸出されるようになりました。
ヨーロッパでは、まだ磁器の製造は行われていませんでしたので、中国磁器に代わる伊万里焼は、実用品として、また王侯貴族の城館を飾る室内調度品として愛用されました。
17世紀後半から18世前半にかけて、輸出された伊万里焼は、記録に残っているだけで200万個以上にのぼります。
そのような経緯で、ヨーロッパには伊万里焼が多く現存していますが、その一部は、日本に“里帰り”しています。

見込み中央と高台内に染付でオランダ東インド会社の略称「VOC」マークを記した大皿。同社の注文により製作されたものと想定されます。表面には佛手柑と柘榴らしい果物。
理由は、1970年代頃から日本は高度経済成長期を迎え、国の経済力が上がり、かつてヨーロッパ王侯に好まれた伊万里焼を逆輸入する動きが生まれたからです。
江戸時代に肥前国で焼かれ、積出港である「伊万里津」からその名がつけられた「伊万里焼」には、さまざまな様式があります。
初期色絵の「古九谷様式」、1660〜1690年代頃に流行した、余白の多い和風デザインの「柿右衛門様式」、1690〜1740年頃に染付の素地に、上絵の金、赤、緑、黄などで装飾した豪奢な作風の「古伊万里様式」などです。
今回の展覧会では、輸出向け伊万里焼と、王侯貴族のコレクションであったものが里帰りを果たしたもの、器形や装飾などから輸出向けの可能性のある作品を中心に展示されています。
伊万里焼の歴史のなかで、海外輸出という契機を得て、ユーザー(ヨーロッパ王侯貴族)の嗜好に合わせて大小さまざまな形状の磁器の大量生産を成し遂げた、当時のダイナミックでエキサイティングな伊万里焼大躍進の過程を知ることができる良い機会。

館内のあちこちに、伊万里焼を模した取っ手やトイレのプレートがあり、それを発見するのも楽しいです。

◎「西洋帰りのIMARI展」
会場:戸栗美術館(東京・渋谷区)
期間:〜2025年6月29日(日)