伝統文化 ・芸術

相国寺は春の特別拝観。法堂、方丈、開山堂が公開中

相国寺では、春の特別拝観が開催中で、法堂、方丈、開山堂が特別公開されています。

14世紀末、足利幕府の三代将軍・足利義満によって創建された相国寺は京都五山の二位に列せられる名刹です。

観光地で有形な金閣寺(鹿苑寺金閣)と、銀閣寺(慈照寺銀閣)は相国寺の山外塔頭です。

法堂は、初建は1391年で、当初は「法雷堂」と称されましたが、その後4度の兵火などに見舞われ、焼失。

現在の法堂は、天文20年(1551年)の兵火による焼失から約50年を経た慶長10年(1605)、徳川家康の命によって豊臣秀頼が米1万5千石を寄進して再建された建物です。

我が国の最古の法堂建築で、重要文化財に指定されています。

構造は桁行7間、梁間6間、単層、1重もこし付き,入母屋造り,本瓦葺きの禅宗様建築です。

堂内の正面には、高い階段を三方にそなえた須弥壇があり、須弥壇の中央には本尊の釈迦如来坐像、脇持に迦葉尊者と阿難尊者の像が左右に祀られています。

相国寺では、応仁の乱の際に、仏殿を焼失してしまい、その後、再建されることがなく、発頭が仏殿も兼ねています。

天井には、慶長10年の再建の時に、狩野元信(1476〜1559)によって描かれた「蟠龍図」があります。
龍は仏法を守護する空想上の瑞獣で、その長は龍王、龍神などと称され、八部衆の一つに数えられています。
そして、龍神は水を司る神であることから、仏法を説くお堂である法堂の天井に龍を描くことで、仏法の雨を降らし、かつ火災から守るとされています。

直径9メートルの巨大な円相内に力強く描かれた龍の姿は、仏法を守護する瑞獣らしく雄々しく、神々しいです。

法堂の北に位置するのが「方丈」です。

方丈といえば、若冲さんが40代初めから10年あまりをかけて描いた畢生の大作「動植綵絵」30幅と、「釈迦三尊像」3幅は、相国寺に寄進した後、毎年6月の観音懺法の際に方丈に掛けられ、一般にも公開されたそうです。

現在の建物は、京都の大半が焼失した天明8年(1788)の「天明の大火」の後、文化4年(1807)に開山堂、庫裏とともに再建されたものだそうです。

現在も、観音懺法の折には、「釈迦三尊像」3幅と、明治22年(1889)に宮内省に献上した「動植綵絵」の高精細印刷による実寸サイズの30幅が、ここに掛けられます。

方丈の構成は、北に三室、南に三室の計六間です。

南の中心の室中には原在中(1750〜1837)による「中国補陀落山図」、室中の西の梅の間には、相国寺の115世で、梅の絵を得意とした維明周奎の「老梅図」があります。

維明周奎は、若冲さんに絵を学んだことでも知られており、天明の大火の際には、公務で江戸にいた当時の住持(相国寺第113世)・大典顕常に代わって、指揮をとったそうです。

そして、室中の東の竹の間には、維明周奎の友人で、浄土宗の僧玉潾によって描かた「竹図」があります。

北の3室は、御所移しの間は土佐派の絵師による「吉野山桜図」、琴棋書画の間は原在中による「琴棋書画図」、聴呼の間には同じく原在中による「八仙人図」があります。

若冲さんと同時代を生きた絵師の原在中や、若冲さんとなじみのあった維明禅師の障壁画が楽しめる良い機会です。

方丈の前庭は白砂が広がる、シンプルで緊張感のある空間です。

一方の方丈の裏にある裏方丈庭園は、草木もあり、ガラッと雰囲気が変わります。

ちょうどツツジが満開を迎え、新緑の木々の間のアクセントになっていました。

つがいの大きな黒アゲハチョウが仲良くツツジの花にじゃれていて、草木が生き生きと新緑を伸ばし、チョウがが生を謳歌する、まさに生き物の楽園でした。

開山堂は、相国寺の開山・夢窓国師の木像が安置されているお堂です。

現在の建物は、方丈と同じく、天明8年の大火で焼失した後、桃園天皇の皇后・恭礼門院の黒御殿を賜って文化4年(1807)に移築したもので、仏堂として用いられるように増築や一部改造を行なっています。

開山堂の南に広がる庭は、手前が白砂敷きの平枯山水、奥が軽くなだらかな苔地築山となっています。

普段は非公開ですので、これを機会にじっくりと伽藍散策をするのも楽しいですね。

◎臨済宗相国寺派大本山  相国寺
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入
春の特別拝観:法堂、方丈、開山堂/期間:2022年6月5日まで

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