本日、PenBOOKSシリーズ『運慶と快慶。』が発売です。
これは、雑誌『Pen』2017年10/1号の特集「運慶と快慶。」が書籍化されたものです。
本誌では、運慶に関するページの執筆を担当させていただき、“運慶好き”の
私としては、運慶仏の魅力にさらに深く接することができて、大変たのしく、貴重な機会をいただきました。
運慶の代表作といえば、現存する最も若い時期につくった奈良・円成寺の「大日如来坐像」や、和歌山・金剛峯寺の「八大童子像」、鎌倉時代にふさわしい、のびやかで、躍動感あふれる仏像が知られています。
一方の快慶も、修学旅行のメッカ・奈良は東大寺南大門の「金剛力士像」を運慶とともに造り、その名を広く知られる仏師。
運慶、快慶ともに”慶”の字が付くとおり、「慶派」と称される一門に属していた二人ですが、作風はもとより、その境遇や生き方、造像の目指すところは全く違っています。
慶派は、運慶の父・康慶が興した一門です。康慶は、平安後期から都で活躍する仏師の三派(院派・円派、奈良仏師)のうち、奈良仏師・康朝の弟子だったとされ、弟子筋ながらも正統を押しのけ、奈良仏師を継いだツワモノ。
北条氏や源氏など後に台頭する東国武士とのネットワークをいち早く築き、棟梁として一門のマネージメントにも長けた有能なリーダーです。
その康慶の跡取りとして生まれ、若くして天賦の才能を発揮し、エリート街道まっしぐらの運慶と、運慶の父の工房に属する仏師の運慶。
運慶は、父亡き後、棟梁として東大寺南大門の金剛力士像造立の指揮をとり、上位の僧侶や仏師に授けられる「法印」位を奈良仏師として初めて与えられるなど、名実ともに造仏界の第一人者に名を連ね、息子たちを仏師として育成し、乱世の時代を権力者との関係構築で乗り切り、最晩年まで精力的に、創造性溢れる仏像をつくった天才仏師。
一方の快慶は、慶派に属する一介の仏師ながらも、その卓越した技能と、阿弥陀信仰によって結ばれた僧・重源の引き立てによって、東大寺復興プロジェクトの造仏の中核を担ったり、兵庫・極楽寺の阿弥陀三尊像を手掛けます。
大作のほか、生涯を通じて、80センチから1メートルの、いわゆる「三尺阿弥陀」と呼ばれる阿弥陀如来立像を端正で優美な姿で作り続けたのですが、信仰の師である重源亡き後は、造仏のモチベーションはトーンダウン。お得意の三尺阿弥陀は類型的になったように見受けられ、少し残念です。
とはいえ、貴族から武士の時代へと大きく社会情勢が変換した鎌倉時代に、その潮流とともに生み出された傑作には、平和な時代のそれとは全く違う凄みがあります。
PenBOOKS『運慶と快慶。』の発行をきっかけに、改めて、運慶の仏像に会いに行きたくなりました。