東京藝術大学大学美術館で開催の「あるがままのアート ー人知れず表現し続ける者たちー」展に行ってきました。
独学で独創的に表現されたアール・ブリュット作家たちの作品が展示されています。
正規の美術教育を受けることなく、ただ己の欲するままにモノを作り続ける彼らの作品からは、魂の慟哭とも言うべき、ひたむきな創造のエネルギーを感じます。
特に興味深く拝見したのは、澤田真一氏の作陶。
初めて実物を観たのは、一昨年の夏。雑誌『クレアトラベラー』(文藝春秋)のお仕事で、日仏友好160周年記念としてパリで開催された文化芸術の祭典「ジャポニスム2018」を取材した時のことです。
19世紀に建てられたロスチャイルド館を会場に開催された「深みへ ー日本の美意識を求めて」展では、円空や李禹煥、田中一村、ゴーギャンやピカソなど古今東西の作家作品が展示され、館の吹き抜けに面した2階の回廊の一部に、澤田氏の作品はありました。一見、ドリアンのようなトゲトゲとした形状が一面に突起していて、妖怪のような、プリミティブなお面のような表情をした独特のオブジェは、白壁の瀟洒な空間で異彩を放っていました。
パリでは、慌ただしい中の鑑賞でしたが、今回は時間に余裕があるので、じっくりと・・・。相変わらず、剽軽でどこかユーモアあふれる造形に見入ってしまいました。
オオサンショウウオのような作品も、とてもおもしろくて気に入っています。
もう一人、川上健次氏の油彩も、ダイレクトに心に響く作品です。
絵の具を何度も何度も塗り重ね、描かれたその作品は、重量感のあるズッシリとしたエネルギーを感じます。
なかでも、赤と黄の絵の具で描かれた両手をあげている人物を描いた「KAZMAX」はインパクト大。その前に立ち、じーっと観ていると、言いようのない複雑な感情が湧き起こり、不思議と涙が出てきます。
昨年、森アーツセンターギャラリーで開催された「バスキア展」で観たバスキアの作品にも似ている感じもありますが、バスキアの作品が“ガラス”だとすると、川上氏のそれは“鋼鉄”。それくらい、作品の持つエネルギーの重みが違う印象があります。
展覧会のサブタイトルにある“人知れず表現し続ける者たち”とは、“表現せずにはいられない者たち”でもあるのでしょう。
これらの作品と対峙すると、芸術を創造するための高度な技術や知識は、あれば有利だけれども、決して必須ではないことを実感します。
そして、鑑賞する側の予備知識も、決して必要ではないことも。
ただ作品と向き合って、制作者のダイレクトな想いや創造のエネルギーを受け取る。そんな経験ができる展覧会です。
この時期ですので、入場は予約制ですが、入場料は無料。機会があれば、是非。
あるがままのアート ー人知れず表現し続ける者たちー
東京藝術大学大学美術館
2020年9月6日(日)まで