江戸絵画 茶会・茶事

円山応挙と長澤蘆雪の師弟コラボが「応挙館」で実現しました

茶道のお稽古で通っいる「上田宗箇流」の東京稽古場主催の大福茶会が、東京国立博物館にある茶室「応挙館」にて開かれました。

応挙館は、元は、寛保2年(1742)に、名古屋市郊外の明眼院の書院として建てられ、後に東京・品川の益田孝(鈍翁)の邸内に移築、昭和8年(1933)に東京国立博物館に寄贈された建物です。

現在は、作品保護のために、複製が貼られています。

室内の障壁画は、眼病を患った円山応挙が明眼院に滞留した折りに揮毫したものと伝えられ、ここから「応挙館」の名称が付けられています。

応挙が眼を患ったのは60歳を過ぎた頃。数え63歳で亡くなった応挙にとって、この松竹梅図は最晩年の作品となります。

複製なのが残念ですが、その伸びやかで迫力のある筆致には、まだまだ精力的に描き続けたいと願う応挙の想いを感じることができます。

応挙の障壁画は、構図や対象の角度、高さなどの工夫により、観者がまるでその空間にいるような印象を与えます。

この応挙館の障壁画も、まるで屋外で松や竹、梅を眺めているような感覚になります。

大福茶会では、応挙の松と竹が描かれる床に、応挙の高弟の一人、長澤芦雪の「竹に雀図」を掛けました。
スーッと上に伸びる数本の竹を濃墨で、薄墨で若い葉を付ける竹を描き、濃淡で遠近も表現しています。

手前の力強い、濃墨の竹には葉が付いていませんが、上に伸びるさらに先に、葉の存在することができます。
奥の薄墨の竹からは、伸びはじめの若い竹がもつみずみずしさも感じられます。

およそ230年の時を超えて、応挙✕蘆雪の師弟コラボ!

◎長澤芦雪「竹に雀図」
江戸時代(18世紀)
紙本墨画淡彩

作品紹介はこちらから

関連記事