雑誌『Pen』の「ひとり。京都」特集内にて、京都が生んだ多彩な芸術家・本阿弥光悦、禅宗と禅宗寺院、禅美術について執筆紹介いたしました。
現在、発売中の雑誌『Pen』(1/1・15合併号/12月15日発売)の特集「ひとり、京都。」で、京都生まれ・京都育ちの桃山〜江戸初期に活躍した本阿弥光悦(1558〜1637)と禅宗寺院、来春に京都国立博物館で開催の「禅 心のかたち」展、京都の禅宗寺院について、記事を書かせていただきました。
書や作陶、漆芸などに、自由で独創性の高い作品を残している本阿弥光悦は、現代では琳派の祖として、またその活躍のフィールドの広さから、マルチクリエイターとして紹介されることも多い、人気の芸術家です。
一方、本阿弥家の家業である刀剣の研磨、浄拭、鑑定に従事しながら、当時、能書(書の名人)としてその名を馳せ、生涯を通じて茶を愛した“数寄者”でもありました。光悦の甥の子である灰屋紹益が、光悦の晩年との交流を綴った随筆集『にぎはい草』には、光悦が若い頃から茶道を好み、それを熱心に学び、また晩年はどこに移り住んでも必ず茶室を建てて、茶を点てることを生涯の慰みとした、と記されています
光悦の作陶した茶碗は「光悦茶碗」として有名ですが、あの数寄遊興の自由さを持つ、個性的な造形と釉薬が特徴の茶碗は、茶を深く理解し愛した光悦だからこそ創ることができたのでしょう。
また、本阿弥家は、当時の京都の町衆にもれず法華宗を信仰しており、光悦も熱心な法華信者であった母の影響を受け、“法華愛”に満ちた作品を多々、残しています。光悦は、法華宗の開祖・日蓮上人が自らの教えを著した『立正安国論』『始聞仏乗義』などを書写し、妙蓮寺に納めていますが、緊張感と高揚感をもって、一文字ずつ丁寧に写された両書からは、光悦の信仰への真摯な姿が伺えます。
現代とは違い、信仰や宗教が生活の身近にあった当時では、精神的な拠り所や人生哲学として、宗教は諸活動の大きなエネルギーやパワーになりえたことと思われます。伊藤若冲は敬虔な仏教徒で、その作品を通じて表現されたのは、生きとし生けるものへの深い愛情であったように、光悦も熱心な法華信者であったことは、その創造の思考性に大きく影響を与えたと考えられます。
伊藤若冲に続き、雑誌『Pen』で本阿弥光悦について書かせていただき、改めて、光悦という人物をきちんと理解する良い機会でした。どのような美術品も、表面的な表現や造形テクニックを語るのは簡単です。しかし、その作品が造られた時代背景や、その人物の宗教観や人生哲学などを知ることで、より作品を深く理解でき、その世界感が広がると実感しております。
今号の『Pen』の記事が、本阿弥光悦に興味を持っていただく機会になりましたら幸いです。
『pen』2016年1/1・15号(No.397)
特集:ひとり、京都。
2015年12月15日発売/CCCメディアハウス