酒井抱一の継承者として江戸琳派の継承に貢献

鈴木其一(1796 - 1858)。

江戸時代後期の絵師で、江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子。江戸琳派の優美な画風を基盤としつつ、斬新で独創的な作品を描く。

その生い立ちには不明な点が多いが、近江出身の紺屋の息子として江戸中橋で生まれ、幼い頃より酒井抱一に弟子入りし、文化10年(1813)、数え18歳で内弟子として抱一に入門。
その4年後、兄弟子で姫路藩酒井家家臣の鈴木蠣潭の病死を受け、養子に入り、鈴木家の家督を継ぐ。

内弟子時代は抱一の身の回りの世話をしながら絵画のほか、茶道や俳諧も学び、実力を付けていく。師・抱一の代筆もしばしば担当するなどしたという。

33歳の時、酒井抱一が亡くなり、四十九日を過ぎた文政12年(1829)に願い出て一代絵師となり、京都土佐家への絵画簾行や、西遊などしながら古い寺社を訪ね、古書画の学習を励み、研鑽を積む。そして、抱一の画風から脱却した、ダイナミックな構成や明快な色彩を多用した独自の表現へと転換していく。

天保12年(1841)から弘化3年(1846)にかけて、師の抱一が出版した『光琳百図』の版木が焼失したため、複製して再出版する。
この制作において、俵屋宗達や尾形光琳の図様や構成などについて再学習したことが、その後の其一の画風に影響を与えたとされる。

酒井抱一の実質的な後継者として、多くの弟子を育成し、江戸琳派の存続に大きく貢献し、また酒井家家臣の画家として、上品で機知に富む画風を確立し、多くの大名や豪商の高い支持を得た其一は、安政5年(1858)、64歳で没する。