白隠慧鶴

雄勁で自在な筆致で圧倒的な気魄と情熱、宗教的意味を込めた禅画墨跡を描き、人々に禅の教えを説いた日本臨済禅の中興の祖


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その人生

◎略歴
白隠慧鶴(1685-1768)。江戸時代中期の禅僧。臨済宗の諸派をまとめ統一し、再興に努めた日本臨済禅の中興の祖。駿河・原宿生まれ。十五歳の時に松蔭寺に出家、二十四歳の時に信州飯山の正受老人により真理を会得、三十三歳の時に松蔭寺の住持となり、四十二歳の秋に大悟。以降、全国各地を巡錫、講演、提唱。禅の教えを漢文語録、仮名法語などの著書や禅画墨跡などに表し、大名、僧侶から庶民まで広く伝える。生涯に渡り、求法、求道の精神を貫き通し、臨済禅の教化、臨済禅の再興に努める。

■詳細プロフィール
白隠慧鶴(1685-1768)。貞享二年(1685)、駿河国駿東郡原宿の長沢家に生まれる。幼名は岩次郎。母親は熱心な日蓮宗の信者で、父親は臨済宗の松蔭寺を中興した大端宗育和尚の甥という環境のもと、幼少時代を過ごす。

元禄八年(1695)十一歳の頃、昌原寺で日蓮宗日厳上人の「魔訶止観」の講義を聴き、地獄話に戦慄。十二歳の時、日蓮宗日親上人が灼熱した鍋を頭にかぶっても「法華経」の功徳により暑さを感じなかった逸話を人形浄瑠璃芝居で知り、行者への憧れを抱く。これらの体験が契機となり、元禄十二年(1699)、十五歳の時に故郷の原・松蔭寺に出家、単嶺祖伝に就いて得度、「慧鶴」と名付けられる。

この後、沼津・大聖寺の息道不益のもとで十九歳まで修行。以降、清水の禅叢寺、美濃の瑞雲寺洞戸の保福寺、岩崎の霊松院、伊自良の東光寺などに行脚し、二十二歳の時には遠く若狭の常高寺、伊予の正宗寺へ行脚する。

白隠は十代後半より当時流行していた御家流(尊円流)と養拙流の書法を学び、和歌の書法や漢詩に親しんでいたが、伊予で大愚宗筑の書を見て、「徳の徳たる所以は文字の巧拙に関わらず」と気づき、以降、文墨を遠ざける。

伊予からの帰途、さらに各地を行脚し、宝永四年(1707)、二十三歳の時に松蔭寺に戻り、翌年、再び行脚の旅に出る。越後高田の英厳寺である夜、坐禅するうちに朝を迎え、遠方の寺の鐘音を聞いて豁然と大悟する。

四月、大悟の自信と確信をもって意気揚々と信州飯山・正受庵の正受老人(道鏡慧端)のもとを訪れる。しかし、先に得た悟りが本物でないことを正受老人に看破され、参禅するごとに「鬼窟裏の死禅和」と厳しく非難される。正受老人のもと厳しく指導を受け、八か月後に悟境を認められ、その冬、松蔭寺に帰る。 二十五歳の時に遠州、駿州の寺院を行脚。この頃、過度の修行のため心身に異常をきたすようになった白隠は、「内観の法」を教わり、坐禅とこの方法によって、健康を回復しつつ、各地の寺へ遍参したり、山中で独り長時間の坐禅をしたりして、その間にいくたびかの大悟、小悟を経験する。

正徳元年(1711)、二十七歳の春、遠州の龍谷寺で『沙石集』を読んでいる時、「一切の智者および高僧にして菩提心無き者は、ことごとく魔道に堕す」とあるのを見て畏怖し、「菩提心」の意味を考えるようになる。

享保二年(1717)、三十三歳の時に白隠の生家をはじめ関係者の取り計らいで松蔭寺に戻り住持となる。この頃、松蔭寺は荒れ放題で、雨露は漏れ、寺産や僧物はことごとく失われた状態だった。この荒廃した寺で、「内観の法」を修めつつ坐禅をする白隠の元に、次第に参禅する在家の居士も集まり、幾人かの弟子もできるようになる。翌年には花園・妙心寺において法階(第一座)を得て、「白隠」と号する。

享保十年(1726)、四十二歳の秋、『法華経』の「臂喩品」を読んでいる時、庭で多数のコオロギが一斉に鳴くのを聞き大悟。これまで何度も得た悟りの体験はすべて誤りであることに気付く。また、二十七歳の時より疑問を抱いていた「一切の智者および高僧にして菩提心無き者は、ことごとく魔道に堕す」の「菩提心」とは、「四弘誓願」の実践にほかならない、と悟る。

四弘誓願とは、次の四つの大誓願を指す。
・衆生無辺誓願度(衆生は無辺なれども、誓って度わんことを願う)
 ・煩悩無尽誓願断(煩悩は無尽なれども、誓って断たんことを願う)
 ・法門無量誓願学(法門は無量なれども、誓って学ばんことを願う)
 ・仏道無上誓願成(仏道は無上なれども、誓って成ぜんことを願う)

以降、白隠は「悟後の修行」としてこの「四弘誓願」を実践していく。
松蔭寺を拠点にしながら、全国各地を巡錫し、講演、提唱と精力的に教化に努める。そのかたわら多くの仮名法語、漢文語録を著し、厖大な数に及ぶ禅画・墨跡を描き、大名から庶民に至るまで遍く禅を説く。

明和五年(1768)、松蔭寺にて八十四歳で示寂。

自伝『夜船閑話』『策進幼稚物語』『壁生草』のほか、『槐安国語』『荊叢毒蘂』『寒山詩闡堤記聞』、『夜船閑話』『遠羅天釜』、『坐禅和賛』『おたふく女郎粉引歌』など漢文語録や仮名法語などの著書多数。