曾我蕭白

独創的で破天荒。精緻で新奇な表現。その豊かな才能と豊饒な技量が生み出す独自の世界観で、人気画家の仲間入りをした江戸中期の奇才。


取扱い作品一覧

  • 売約済

    雲龍図

    紙本墨画 江戸時代(18世紀)

その人生

曾我蕭白(1730-1781)。享保十五年、京都生まれ。京都・興聖寺に残る過去帳によると、父は丹波屋吉右衛門、母はヨツ。本姓は三浦氏。「丹波屋」という屋号をもつ商家の次男として育つ。 寛保三年(1743)、十四歳の時に父親を、延享三年(1746)、十七歳の時に母親を失う。兄がいたが、その兄も父親が亡くなる三年前に江戸で没する。天涯孤独となった蕭白は京都を離れる。 画家としての活動開始時期は不明だが、現存する作品および款記より、二十九歳、三十五歳の頃と二度にわたり伊勢を、三十三歳、三十八歳の頃に二度にわたり播磨を漫遊し、精力的に作画活動を行う。 宝暦八年(1758)から翌年にかけて一度目の伊勢地方遊歴。西来寺にて「竹林七賢図襖」(現在は消失)を描く。蕭白がいつ頃から曾我姓を名乗っていたかは不明だが、明治時代に蕭白を研究した日本画家・桃沢如水によると、この「竹林七賢図襖」には「行年廿九歳曾我蕭白」と書かれていたという。 宝暦九年(1759)、三十歳の頃、同じく伊勢・黒田村の浄光寺にて「十六羅漢図」「葡萄図」(ともに現在は消失)を描く。画中の衝立に「平安散人曾我蕭白藤原暉雄行三十歳之図」とある「久米仙人図屏風」もこの年に描いたものと思われる。 宝暦十二年(1762)の頃、一度目の播州遊歴。「神馬図絵馬」を描き、高砂の加茂神社に奉納する。この絵馬の表面には「宝暦壬午之夏/奉納/蛇足軒曾我次郎暉雄図」と、裏面には「宝暦壬午十二夏/三浦大助義明苗/鎌足公藤原氏継/曾我左近次郎/平暉雄敬白」とある。蕭白は、自身が三浦姓であることから鎌倉時代の相模の豪族・三浦大介義明の末裔で、さらに藤原鎌足の子孫である、とここに記している。 明和元年(1764)の頃、二回目の伊勢遊歴。後の代表作となる「群仙図屏風」を制作する。朝田寺で「唐獅子図」を、継松寺で「雪山童子図」を描く。また伊勢斎宮の永島家にて「松に鷹図襖」「竹林七賢図襖」などを描く。 明和四年(1767)の頃、二回目の播州遊歴。「曾我蕭白画」の款記ある「牽牛図絵馬」が曽根天満宮に奉納される。当地に蕭月、蕭湖という二人の弟子がいたと伝えられる。 明和九年(1772)二月、蕭白の描いた「峨嵋山月図」に京都の儒者・松波酊斎が賛を書く。蕭白はこの頃、京都いたと思われる。以降、地方に長逗留することなく、京都を拠点に作画活動を行う。 安政四年(1775)、四十六歳の時、京都在住の有名な学者・書家・画家などの名を録した名士録『平安人物志』に円山応挙、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村など共に「画家」の項にその名を連ね、京都の実力画家と認められる存在に。 安永六年(1777)八月、蕭白の息子が夭折。息子の死から四年後の安永十年(1781)一月八日、五十二歳にて没。 ◇参考文献 ・『曾我蕭白 無頼という愉悦』(狩野博幸 解説/展覧会図録) ・『荒ぶる京の絵師 曾我蕭白』(狩野博幸 著/臨川書店) ・『曾我蕭白 生涯と作品』(狩野博幸 著/東京美術) ・『曾我蕭白』(狩野博幸 著/新潮日本美術文庫)