ブログ「日々是好日」

「没90年 鉄斎 TESSAI」展を出光美術館で見て。若冲と鉄斎と似ているのは……。

幕末、明治、大正と激動の時代を生きた文人画家・富岡鉄斎(1836~1924)の没90年を迎えて。東京・出光美術館で開催の「没90年 鉄斎 TESSAI」展を見てきました。

image

◎出光美術館

「没90年 鉄斎 TESSAI」(~8月3日まで)

京都;心性寺の尼僧・太田垣連月の和歌に俳歌風の簡略な絵を描いた鉄斎32歳の墨画淡彩や30歳前後の墨画など30代の絵から、蓬莱山や仙境を描いた最晩年88歳の墨画淡彩など、出光美術館所有の約70点がテーマ別に展示されています。

鉄斎といえば、晩年の白い長いひげを蓄えて書物を読む、“仙人”のような風貌が有名ですね。独特の筆致と構成で描かれる青緑山水図や幽玄な山水水墨画には、儒者として多忙な日々を送りつつも、いつも心の中には古代中国の文人たちが理想とした、俗世から離れて自娯適意の自由な生活への憧憬がよく描かれています。

 image

(展覧会図録より)

さて、この鉄斎と、「古美術 景和」で中心に扱っている伊藤若冲とは似ている点があります。それは、当時としては長生きをし、亡くなる直前まで精力的に絵を描いていた、ということです。

若冲は江戸中期の1716年から1800年までの八十五年を生き、鉄斎は江戸末期から大正の1836年から1924年までの八十九年を生き、素晴らしい絵を数多く描いています。

両者とも、世俗にまみれることよりも、“自らの理想の境地”を強く志向していたのが特徴です。

若冲は弟に稼業を譲ると在家の僧(居士)となり、絵を描くことで仏教へ帰依する生き方を選び、鉄斎は学者として活躍しつつも、常に古代中国の文人たちが理想とした晴耕雨読の生き方を望んでいました。

相国寺の僧・大典顕常や当時の京都の文化人の中心的存在・売茶翁(高遊外)たちとの交流があの傑作『動植綵絵』を生んだ若冲、

学者として文人の理想とする「万巻の書を読み、万理の路を行く」ことを実践し、厖大な和漢の書を読破しつつ、全国を巡りながら心象風景を刻み、多くの傑作を生み出した鉄斎。

「仏への帰依」と「古の文人への憧憬」。

方向は違いますが、若冲も鉄斎も、ともに最晩年まで精力的に描き続けることのできたのは、生涯ブレなかった心の拠りどころと己の理想の姿があり、絵を描くことで、その理想の境地にたどり着くことができると信じていただからではないでしょうか。

image

(展覧会図録より)

この度の鉄斎展で一番印象に残ったのは・・・。大正十年、八十八歳の最晩年に描いた「蓬莱仙境図」(大正十五年)。

大胆な筆致で豪快に描かれた神仙の境地・蓬莱山の絵。

鉄斎が心に抱き続けた“理想郷”の集大成をここに見た気がしました。

没90年。鉄斎はきっと、この蓬莱仙境図のような仙境で悠々と90年を過ごしているのでしょう。