作品画像

伊藤若冲「鯉図」

作品データ

作家名 伊藤若冲
作品名 鯉図
時代 江戸時代(18世紀)
紙本墨画
本紙寸法 101.0 x 28.2 cm
総丈 181.5 x 39.5 cm
印章 「藤汝鈞印」(白文方印) 、「若冲居士」(朱文円印)
展覧会 出品履歴 ・生誕300年 若冲の京都 KYOTOの若冲(京都市美術館)/2016年10月~12月

 

解説

大胆な構図で波濤を立てながら進む鯉の勇姿

五月の青空を泳ぐ「鯉のぼり」のように、大きくギョロリとした目をした鯉が、波濤を立てながら勢いよく泳ぐ様を描いています。
腹部の一部が画面の外に出て、尾びれを描くという大胆な構図に、若冲のセンスの良さを感じます。
江戸時代の作品とは思えないほど、現代的な感覚でトリミングされた鯉の姿には、激しい水流を泳ぐ迫力と、「バシャン」と水の音が聞こえそうな臨場感があります。

鯉の胴体は、若冲お得意の「筋目描き」で表現しています。
「筋目描き」とは、吸水性の良い紙に、淡い墨を隣同士に置くと水がぶつかりあい、墨が浸透しない部分の境界線に白い筋目が残る状態を生かした水墨描法です。
若冲が魚の鱗や鶏の羽、草花の花弁や葉などの表現に好んで用いた、若冲の専売特許とも言えるユニークな表現が魅力です。
墨のにじみをコントロールする必要があり、修練や高度な技術を要するこの描法で、鯉の鱗を一枚一枚丁寧に描いています。

この鯉図では、鱗を筋目描きで表現した後に、体部の前半分に少し濃い目の墨で、重ね塗りしています。
頭部の濃い墨色から尾にかけて、グラデーションを表現したかったのでしょう。
筋目描きは、水分の多い薄墨でのみ表現できる描法ですので、濃墨と薄墨の中間色を表すために、筋目描きの上に、さらに色を塗るという、手間のかかる方法をとっています。

若冲の畢生の大作で、彩色画の「動植綵絵」(全30幅)では、顔料と染料を重ね塗りしたり、絵絹の表からだけでなく裏からも塗る「裏彩色」を用いたりと、“色を重ねる”ことで、色のバリエーションと奥行き感を生み出していますが、水墨画でもその指向性が見受けられるとは驚きです。

さて。鯉といえば、「鯉の滝のぼり」が思い浮かびます。
黄河の上流にある「竜門」を登ることのできた鯉は、竜になるという「後漢書」党錮伝の故事から、立身出世の関門に例えられる鯉の滝のぼりは、「登竜門」とも言われ、江戸時代の人気の画題でもありました。
若冲も40代の初期から最晩年まで、いくつもの鯉図を描いています。
禅僧の賛を伴うものもあり、若冲のネットワークの中でも人気が高く、その絵を請われていたのでしょう。

この鯉図は、波がうねるなか、必死な表情で進む鯉を描いています。
激しい水の流れは、近くに滝壺があるのでしょう。
竜門を目指して、ズンズンと推進していく巨大駆逐艦のような迫力のある様子。
鯉の真剣な眼差しには、「竜門を登りきって、竜になってやる!」という決意が感じられます。
鋭く長い尾びれも、“これから龍になる鯉”の神々しさを暗示しているかのようです。

実は、若冲には3枚の下絵(下書き)が現存しています。
下絵のうちの1枚とこの「鯉図」を比較してみますと、構図が一致していることが分かります(下の図を参照)。

(右)「鯉図」。サイズ:幅31.4センチ、高さは比較しやすいように上部をトリミング
(左)「鯉図」下絵。サイズ(最大):幅33.0センチ、高さ75.0センチ(『MUSEUM』第245号 1971年8月号、および『若冲 特別展覧』東京国立博物館 1971年に掲載)

両者のサイズを比較しますと、幅は下絵のほうが少し大きいですが、絵の向かって左の波濤を下絵ではより幅広く描いていますので、それを勘案すると、下絵と実際の鯉図とは、ほぼ同サイズといえます。

ここからは、若冲は水墨画にも実物大の下絵を用い、構図を練ったうえで描いていたことが推測されます。

下絵には、鯉の胴部分の真ん中あたりに、上下に2本の線が引かれていますが、本作品と比べてみると、ちょうど、胴体の墨の濃から淡へのグラデーションの境界線に当たります。
筋目描きで鯉の鱗を表現したうえに、少し濃い目の墨で重ね塗りするための目安線、ということでしょうか。

下絵と作品の関係や、筋目描きの上にさらに重ね塗りするという、表現の多重性への志向が垣間見える、貴重な作品ですね。